米寿の由来
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数え年八十八歳のお祝いを「米寿」といいます。「米」という字を分解すると「八」「十」「八」と読めることからそう呼ばれ、”米の祝い””こめの字祝い””よねの祝い”ともいわれました。
米寿の由来は「米」の文字を分けると八、十、八となる事から末広がりの八が2つ重なる大変おめでたい年と言われています。
またここでのポイントは数え年。本来、米寿は数え年で88歳を迎える年にお祝いをします。
数え年と言うのは、辞書によると「生まれた年を1歳として、新年を迎える度に1歳を加えて数える年齢」とあります。ですから、普段私たちが使っている満年齢で言うと87歳に相当します。
米寿=88歳と言うのは浸透していますが、これが数え年なのか満年齢なのかをきちんと把握されている方は少ないので、現在では満年齢で88歳を迎えてお祝いする人も多いようです。
数え年と言うのは、辞書によると「生まれた年を1歳として、新年を迎える度に1歳を加えて数える年齢」とあります。ですから、普段私たちが使っている満年齢で言うと87歳に相当します。
米寿=88歳と言うのは浸透していますが、これが数え年なのか満年齢なのかをきちんと把握されている方は少ないので、現在では満年齢で88歳を迎えてお祝いする人も多いようです。
長寿のお祝いの始まり
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賀寿(歳祝い)とはさらなる長寿を願ってするお祝いで、日本では奈良時代からその習慣があり、江戸時代に入り一般的な風習として広まったといわれています。
奈良時代の頃は中国の風習を取り入れ、当時は寿命も長くないため40歳以降から10年おきに「四十の賀」「五十の賀」と祝っていました。それが次第に変化し江戸時代の頃には、家長は還暦(数え年の61歳)を迎えると、引退して家督を後継者に譲るという、長寿のお祝いというよりも『家系が絶えることなく、さらなる繁栄を願う儀式』といった意味合いが強かったようです。そこからさらに現在の風習に変化していきました。
長寿のお祝いって日本特有の文化と知っていましたか?
還暦は、室町時代より始まったと言われていますが、多くの人が30歳までにはで亡くなっていたご時世。そのような時代の中で60歳というのは、大往生。長寿の証。
時代を経るにつれて人々の平均寿命もぐんぐん伸びていき、今や80歳を超えるまでになりました。元々は88歳の米寿で長寿のお祝いはおしまいでしたが、長生きされる方が多くなった現代では、その後90歳の卒寿、99歳の白寿などが追加されています。
還暦は、室町時代より始まったと言われていますが、多くの人が30歳までにはで亡くなっていたご時世。そのような時代の中で60歳というのは、大往生。長寿の証。
時代を経るにつれて人々の平均寿命もぐんぐん伸びていき、今や80歳を超えるまでになりました。元々は88歳の米寿で長寿のお祝いはおしまいでしたが、長生きされる方が多くなった現代では、その後90歳の卒寿、99歳の白寿などが追加されています。
年祝い一覧
・還暦(60歳) 色:赤
・緑寿(66歳) 色:緑
・古希(70歳) 色:紺・紫
※古稀ともいう。
・喜寿(77歳) 色:紺・紫・黄・辛子
・傘寿(80歳) 色:紫・黄・辛子金・金茶
・米寿(88歳) 色:黄・辛子・金・金茶
・卒寿(90歳) 色:黄・辛子・金・金茶
・白寿(99歳) 色:白
・百寿(100歳) 色:白
※上寿、紀寿、百賀ともいう。
・茶寿(108歳)
・珍寿(110歳)※椿寿ともいう
・皇寿(111歳)
・大還暦(120歳)※還暦の2倍
どんな風に米寿をお祝いするの?
還暦祝いには赤いちゃんちゃんこなどを贈るしきたりがあり、一般的にもよく知られていますね。
これは「暦が一巡し、赤ちゃんに戻る」という意味からきているのです。米寿の場合は色が赤ではなくて、金茶色になるというのが一般的です。
また「米の祝い」と呼ばれることもあるようで、昔は祝いの会を催し、招待者に枡の斗掻や火吹竹を贈る風習があったとも言われます。最近では金茶色の衣類や日用品を贈ったり、お米にまつわる商品を贈るなど工夫を凝らしているケースも多いようです。
米寿と言えば金色のちゃんちゃんこを羽織ってお祝いすることが定番ですが、1番大切なのは、米寿を迎える本人が喜ぶようなものを贈るということです。
ご高齢なので、健康状態も人によって様々ですので、十分な配慮が必要です。
ご高齢なので、健康状態も人によって様々ですので、十分な配慮が必要です。