シルクロード経由で伝わった伝統文様!民族衣装を元に意味も合わせて徹底解説!

 

シルクロードとは、中国から地中海の各地へ伸びる歴史的な交易ルートのことです。主な交易の商品は絹でした。そんなシルクロードでは、交易品の絹などと一緒に、民族衣装などに用いられている伝統文様も伝わっていきました。そんなシルクロード経由で広まった伝統文様について紹介していきます。

もくじ

シルクロードとは

シルクロードとは、中国から地中海各地へ伸びている、歴史的な交易ルートのことです。名前に「シルク」とあるように、交易品の主体となっていたのは中国の上質な絹でした。

そんなシルクロードには、大きく分けて3つのルートが存在しています。そのルートについて、更に詳しくシルクロードを紐解いていきましょう。

草原の道

草の道は、シルクロードの中でも最も古いとされている交易ルートです。

中国からモンゴルやカザフスタンへ向かい、アラル海やカスピ海を超えて黒海へ通じています。

主な交易品は、黄金や毛皮、そして絹などのような高級品でした。

このあたりは遊牧騎馬民族が勢力を誇っており、シルクロード草の道をどれだけ広く抑えるかで、その勢力を誇示していたと言われています。

オアシスの道

東アジアと西アジアと南アジアを最短ルートで結んだ道を、オアシスの道と呼びます。名前に「オアシス」と入っているように、それぞれのオアシスを結んでいるルートです。

シルクロードのメインの交易路で、一般的に「シルクロード」と言えば、オアシスの道のことを指しています。

主な交易品は、絹を含めた高級品でした。ですが、それ以上にオアシスの道は定住地域を結んでいたルートということもあり、文化交流が盛んに行なわれていました。これからご紹介する伝統文様が伝わったのも、オアシスの道経由で広がったものです。

海の道

中国南東の海岸から出発し、東シナ海やインド洋を超えてペルシア湾の向こうにある中東諸国まで結ぶ海の交易路です。

海の道というくらいですから、船を使ってさまざまな交易品を運んでいました。

主な交易品は香辛料です。当時、コショウは大変貴重で金と同じだけの価値がありました。そのような大変希少な香辛料のほとんどは、この海の道を通って各地は運ばれていました。

また、そのほかの貴重で高価な交易品として、ガラスや鋼鉄、錦(にしき)などもありました。日本でギヤマンとして伝わったガラスも、この海のシルクロード経由で伝えられたものです。

シルクロード経由の伝統文様の意味

シルクロード経由で伝わった伝統文様はたくさんあります。シルクロードは交易品だけではなく、各地の文化も広くに伝えていました。伝統文様もそんな文化の一つなので、各地に広まったのでしょう。

伝統文様には、それぞれに深い意味も込められています。シルクロード経由で広がった伝統文様は、その意味も含めて伝わっています。

そんなシルクロード経由で伝わった伝統文様を、意味も含めて紹介していきます。

アフガニスタンの民族衣装ケミス

アフガニスタンの民族衣装ケミスには、蓮の花が織り込まれています。

アフガニスタンの宗教は仏教です。仏教において蓮の花は、極楽浄土の花とされています。仏画に描かれている仏様は、初の花に乗っていることが良くあります。蓮の花は、仏様が乗られるほどの、尊い花だと考えられているのです。

アフガニスタンでは民族衣装のケミスに蓮の花を織り込むことで、仏の存在をより身近に感じようとしています。また、仏の教えを忘れないようにし、死後は極楽浄土へ行けるようにという願いも込められているのです。

ちなみに仏教という宗教は、シルクロードを経由して広がっていきました。蓮の花が極楽浄土の花であるという考えそのものがシルクロード経由で伝わり、それが民族衣装に織り込まれるようにもなったのでしょう。

タジキスタンの民族衣装クルタ

タジキスタンの民族衣装クルタには、伝統文様としてひまわりが織り込まれることが良くあります。

ひまわりは太陽の方を向いて咲き誇ります。このことから、いつも太陽のように明るく、そして素直な性格でいられますように、という願いや思いが込められています。

また、ひまわり畑に太陽が当たると、黄色が金色に見えることがあります。黄金色に輝くひまわりを黄金になぞらえて、お金に困らない生活ができるように、という思いもあるようです。

ちなみにひまわりの文様はモンゴルの民族衣装にも多く見られます。シルクロードを通って、モンゴルからタジギスタンに伝わったのでしょう。

パラグアイの民族衣装ニャンドティードレス

パラグアイの民族衣装ニャンドティードレスには、伝統文様として蜘蛛の巣のモチーフが織り込まれます。「ニャンドティー」はスペイン語で、蜘蛛の巣という意味があるのです。

蜘蛛の巣は太陽を意味しています。蜘蛛は良く晴れた日にしか蜘蛛の巣を張らないという習性があります。自然の神様に晴天を願って、蜘蛛の巣を民族衣装の文様に取り入れたのではという説もあるようです。

ちなみに、蜘蛛の巣のモチーフは、アラビア諸島から伝わった蜘蛛の巣のレースがもとになっています。シルクロードはアラビア諸島まで伸びていましたから、その交易路を通ってアラビア諸島の蜘蛛の巣のレースがパラグアイに伝わり、伝統文様として取り入れられるようになったのでしょう。

シルクロード経由で日本に伝わった伝統文様

シルクロード経由で伝えられた伝統文様は、世界だけではありません。日本に伝えられた伝統文様も数多くあります。

シルクロード経由で日本に伝えられた伝統文様の多くは、着物などの環ものに多く見られ、現在も残っています。

今度は、日本に伝わったシルクロード経由の伝統文様について紹介します。

唐草模様

唐草模様は最もポピュラーなシルクロード経由の伝統文様と言えます。その原型は中国にあります。

日本の唐草模様には、人との縁を大切にするという意味が込められています。唐草模様はツタが絡まり合いながらさらに伸びている模様をしています。人との縁も同じで、一つの縁が深く絡まり合い、それがさらに伸びてどんどん縁が広がっていきます。

一人一人の縁を大切にすることで、良い縁に恵まれるという意味が、唐草模様には込められているのです。

ちなみに中国の唐草は、モスクのモチーフとしても用いられています。これもシルクロード経由で伝わった伝統文様の一つです。

青海波(せいがいは)

青海波とは、海に立つ波が幾重にも重なったような模様のことです。

青海波は古代ペルシャが発祥と言われています。シルクロード経由で日本に伝わったのが飛鳥時代で、平安時代には盛んにこの模様が使われるようになったと言われています。あの有名な源氏物語にも、青海波という舞を踊る場面が描かれています。

青海波は見た目が波のようですが、海が関係しています。海はどこまでも広く、多くの人たちに海の幸としての恩恵をもたらしてくれます。その海のようにどこまでも広く、そしていつまでも繁栄が続くようにという願いが込められています。

とても良い意味があることから、お祝い事の席で良く用いられる縁起の良い伝統文様です。

正倉院文様(しょうそういんもんよう)

正倉院文様は、正倉院にまつわる工芸品や染織品に多く見られる文様の総称です。

蓮華や牡丹などの花を組み合わせた宝相華文(ほうげそうもん)や、玉をつなぎ並べた連珠文などがあります。

正倉院文様は、唐や西域などのようなシルクロード文化を伝える文様として大切にされています。

どうして正倉院にまつわる工芸品や染織品の文様を正倉院文様というのかというと、正倉院がシルクロードの終着点と言われていたからです。世界中を旅した各地の工芸品や染織品の多くは、正倉院にとどまっていました。シルクロードにまつわる文化がすべて正倉院に集められていたのです。

正倉院に保管されている品々を見れば、シルクロードにまつわる文化がわかることから、それらに描かれている文様を正倉院文様と呼ぶようになりました。

まとめ

地球上で最も発展したシルクロード。シルクロードが運んでいたのは高級な嗜好品だけではなく、伝統文様などの文化も運んでいたのですね。

当時のオアシスはほとんどが異常気象で干上がってしまい、残っていません。ですが、文化は世界中に伝えられています。シルクロードの文化に触れて、当時の旅路に思いを馳せてみてください。ゆったりした時間を過ごすことができるでしょう。

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