芸術や福徳、財運などをつかさどる「弁才天」は七福神の中では唯一の女神です。日本三大弁才天として有名な滋賀県の竹生島や神奈川県の江ノ島、広島県の宮島弁天、にお参りされた事もいらっしゃると思います。今回はその「弁才天」のお話です。
もくじ
美しき女神「弁才天」
日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国とは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視される。「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多い。瀬織津姫が弁才天として祀られる例もあるが少ない。
弁才天のルーツは古代インドの水の神サラスヴァーティーである。
言葉の女神ヴァーチュと同一視されるようになり、言葉(弁)の才に優れた神、弁才天となり、弁舌、学芸、智恵の女神として信仰された。
その原像は、インドの古典『リグ・ヴェーダ』に登場する川の女神・サラスヴァティーに由来する。ここでは女神を代表する存在と讃えられており、川をつかさどるものであることから、やがて作物を実らせ、富をもたらす神へと昇華していったようだ。
また、バラモン教の祭儀書には、言葉の神・ヴァーチと同一視され、インドの古代語・サンスクリットの文字を創造したとされる。そもそも、サラスヴァティーの語義は川あるいは水多き地といった意味で、弁才の意味はない。このヴァーチとの習合によって、弁舌や学問、音楽の神という神格が与えられたのである。
こうしてサラスヴァティーには、水辺に腰掛け、琵琶を奏でながら金言を口にする優美な女神として信仰されていく。また、すべてを押し流し、洗い流す水辺にすまうことから、浄化をつかさどる神としても崇敬された。
二臂弁才天と八臂弁才天
琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形をとっている。密教で用いる両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅中にその姿が見え、『大日経』では、妙音天、美音天と呼ばれる。元のサラスヴァティーにより近い姿である。ただし、胎蔵曼荼羅中に見える2臂像は、後世日本で広く信仰された天女形ではなく、菩薩形の像である。
『金光明最勝王経』「大弁才天女品(ほん)」の所説によるもので、8本の手には、弓、矢、刀、矛(ほこ)、斧、長杵、鉄輪、羂索(けんさく・投げ縄)を持つと説かれる。その全てが武器に類するものである。同経典では弁才・知恵の神としての性格が多く説かれているが、その像容は鎮護国家の戦神としての姿が強調されている。
宇賀弁才天は八臂弁才天が持っている「鉄輪、羂索(投げ縄)」が「宝珠、鍵」にかわっている弁才天です。
ここでいう宝珠とは「如意宝珠」のことで、鍵は宝蔵を開けるものです。
如意宝珠とは「万宝を雨のように降らす珠」です。
これら戦いの道具と宝を雨のように降らす道具、宝蔵を開ける鍵を持った「宇賀弁才天」は貧を遠ざけて福を与える「貧転与福」の神となったようです。
弁才天のお使い(使者・神使)
弁才天の化身は蛇や龍とされる
弁才天には「十五童子」が眷属として従うが、これも宇賀弁才天の偽経に依るもので、「一日より十五日に至り、日々宇賀神に給使して衆生に福智を与える」と説かれ、平安風童子の角髪(みずら)に結った姿をとる。十六童子とされる場合もある。
ここにいけば弁才天にあえる
竹久島宝厳寺
本尊の大弁財天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁財天」の一つで、その中で最も古い弁財天です。そのため、当山のみ「大」の字をつけ、大弁財天と称します。
この本尊は、開山時(七二四年)聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼したものです。内陣の壁画は、荒井寛方画伯によるもので正面の壁画を「諸天神の図」、側面を「飛天の図」と呼びます。
当山は、辯才天の聖地として古くより多くの信仰を集めております。
また辯才天は、人々を苦しみから救い幸せに導いてくれる女神とされております。当山では、「弁天様の幸せ願いダルマ」といって、小さくて赤い可愛いダルマの中にお願い事を書いた紙をダルマの中に収め、本堂に奉納するという願掛けがあります。このダルマに、皆様の心にある悩みや苦しみを辯天様に打ち明け、安らぎと幸せを願っていただきたいと思い、奉製致いたしました。
江ノ島神社
辺津宮の境内の八角のお堂・奉安殿には、八臂弁財天と、 日本三大弁財天のひとつとして有名な裸弁財天・妙音弁財天 が安置されています。 江戸時代には、この江島弁財天への信仰が集まり、江の島詣の人々で大変な賑わいを見せました。
琵琶を持った弁財天様、美しいですね♪
女神さまを刺繍したお守りってあまりないんですよね。
貴重です。
厳島弁才天 大願寺
大願寺は、明治維新まで嚴島神社を始めとし、各寺社の修理造営をつかさどっていたので神社とのつながりも深く、現在は山門と堂宇しか残っていないが、嚴島神社が隆盛を続けていたころはかなり壮大な伽藍を持っていた。
当寺には厳島弁財天が祀ってあり毎年6月17日には大祭が行われている。
最後に…
とくに「弁才天」と「弁財天」では、「芸術の神」と「財徳の神」の違いがあるようです。もともとは水の神、芸術の神であった「弁才天」が、弁「財」天となることで「財運」の神となったようです。
そんな財運の神としての弁才天では「銭洗い弁才天」が挙げられます。
弁才天にお参りして、お金を洗うと福銭となって倍になって戻ってくると言われています。
一言に弁才天と行っても様々な姿形が有り、女性らしいものから8本の手に武器を持つものなど、その姿形が絵姿や彫り物、陶器などの像として残されています。
そのほか、一糸まとわぬ姿の弁才天の像もあります。
弁才天の像の種類の多さを見るだけで、古来の人々にとって弁才天という女神がどれほど敬われ大事にされてきたのかが理解できます。
また、七福神に弁才天が加入する以前は「吉祥天」という毘沙門天の后神が七福神の一柱でした。
吉祥天から弁才天へと変わった理由は様々なものがあるようですが、
貴族に崇められたいた吉祥天よりも、多くの庶民の崇敬を受けていた弁才天のほうが一般的だったから、という理由が有力なようです。