【徹底解説】飛鳥時代から食べられていた古代食の蘇ってどんなもの?

 
蘇

古代食として古くから食べられていた蘇。実は現在に通用する栄養満点の健康食だったのをご存知でしょうか?古代食と言われていますが、実は現代でも作って食べることができます。作り方はさまざまですが、蘇についての詳しい解説と合わせて、蘇の作り方もご紹介します。

古代食の蘇の起源や歴史とは?

蘇
古代食の蘇とは、そもそもどういうものなのでしょうか?また、「古代」と言ってもいつ頃から食べられていたのでしょう。その起源や歴史について解説します。

飛鳥時代から食べられていたチーズの元祖

古代食の蘇は、実は飛鳥時代から食べられていたと言われています。飛鳥時代と言うと、聖徳太子や推古天皇が活躍していたあの時代です。とても古い時代だということは、容易に想像できるでしょう。

実際に推古天皇や聖徳太子が蘇を食べていたかどうかは、定かではありません。ただ、飛鳥時代にはすでに蘇という食べ物が存在し、食べられていたという記録が残っているのです。

飛鳥時代では古代食の蘇は税だった

飛鳥時代で古代食として食べられていた蘇。実は子の蘇が登場する記述によると、蘇は税の一つとして考えられていたとされています。今の税は現金ですが、昔の税と言えばお米を想像する人が多いのではないでしょうか。

飛鳥時代の西暦700年、当時の日本を治めていた文武天皇は、蘇を税の一つとして認め、全国的に作らせたという記述が残っています。何故、蘇が税の一つとされたのかは謎ですが、蘇はただ単なる食べ物としてだけはなく、薬や仏教祭事のお供え物としても扱われていたようです。

蘇は現在以上に大変広い需要のあった食べ物だったため、文武天皇は税の一つとして定め、全国的に蘇を作るようお触れを出したのだと考えられています。

平安時代では貴族階級の高価な食べ物

平安時代に入ると、古代食の蘇は貴族階級の高価な食べ物として浸透していきます。庶民の口に入るような一般的な食べ物ではなかったのです。それだけ古代食の蘇は貴重な食べ物だったということでしょう。

平安時代中期に編纂された「延喜式」という法令をまとめた書物によると、「乳を一斗煎じて、一升の蘇が得られる」という記載があります。法令集にわざわざその作り方が記されていることから、何らかの行事事の際に食べられていたと考えられています。

平安時代では行事事はすべて貴族の間で執り行なわれていました。庶民は毎日の暮らしに忙しかったため、行事事とは無縁だったのです。そのため、古代食の蘇も庶民の口にほとんど入ることはなく、貴族の間で食べられていたと考えられています。

また、平安時代にはたくさんの行事事が貴族の間で執り行なわれていました。どの行事事も特別なものであったため、行事ごとに特別な食べ物が食べられていたようです。古代食の蘇だけではなく、現在では七夕の日に食べるとされている索餅も、平安時代に貴族の間で食べられていました。索餅については別の記事があります。こちらの記事を参考にしてみて下さい。

【知らなかった!】七夕のお菓子でもある索餅ルーツを徹底解説!

インドがルーツというのは間違い?

実は古代食の蘇はインドがルーツという説があります。ですが、この説は誤りだという声も上がっています。

何故インドがルーツなのではないかと言われているのかと言うと、それは「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」というお釈迦様の入滅を記した経典の中に「酥(そ)」という食べ物が登場するからです。この「酥(そ)」という食べ物は、乳からできていると大般涅槃経には記されています。古代食の蘇も乳からできているという記載がありますから、似ています。

ただ、この説が誤りだという理由もあります。それは、「酥(そ)」は現在の生バターに相当するものだという記述が見つかったからです。これがもし本当なら、古代食の蘇は現在のチーズに相当するとされているため、別物である可能性が高くなります。

古代食の蘇はインドがルーツの「酥(そ)」と同じなのか、それとも別物なのかは明確になっていません。どちらも作り方などの詳しい記述が少なすぎるからです。あくまでも推測の上で、現在も議論がなされています。

当時の古代食の蘇の作り方

飛鳥時代の遺跡
当時の古代食の蘇の作り方はどのようなものだったのでしょうか?古代食蘇の作り方について解説しましょう。

「延喜式」や「政事要略」に記載あり

古代食の蘇は、「延喜式」や「政治要略」に記載があります。「延喜式」は、平安時代にまとめられた法令に関する書物です。一方の「政治要略」は、平安時代に行なわれていた政治活動に関する行事や出来事などをまとめた書物です。どちらも日本で行なわれていた政治に関する書物ということです。

この2冊の書物の中に古代食の蘇の作り方が登場します。一斗缶分の乳を煮詰めると、一升分の蘇が出来上がるという内容です。どちらの書物も古代食の蘇にまつわる作り方の記載は、たったこれだけです。

ですが、もし本当に単純に乳を煮詰めて作っただけのものなら、日本の気候を考えると長持ちするような食べ物ではありません。政治的な行事の際に食べられていた古代食の蘇なら、すぐに腐敗してしまうような食べ物は作らないだろうと言われています。

そこで、当時の作り方はたったこれだけですが、本当は何らかの腐敗しないようなものが入れられていたのではないか、と言われています。ただ、その記載はどこにもありません。あくまで推測です。

古代食の蘇と酥は別物?

古代食の蘇と酥が別物であることは、先ほどご説明しました。単純に酥は現在の生バターのことを指しているから古代食の蘇とは違うとしましたが、実は酥の作り方も古代食の蘇とは違っているのです。

古代食の蘇は一斗缶分の乳を煮詰めて作るという記載があります。一方の酥は、乳から現在のヨーグルトにあたる酪を作り、それを更に加工して酥を作るという記載があるのです。単純に煮詰めて作っただけのものではないということです。この点でも古代食の蘇と酥は別物だという説が有力だとされていることがわかるでしょう。

現代版の古代食「蘇」の作り方

牛乳
古代食の蘇の作り方は、明確になっていません。ですが、現代版の古代食の蘇の作り方は、さまざまな方法で紹介されています。これが本当に飛鳥時代や平安時代に食べられていた古代食の蘇と同じものかどうかはわかりません。

ただ、材料は牛乳だけという点から、多くの人たちの注目を集めています。今回は3つのパターンの作り方をご紹介しましょう。

土鍋で作る方法(3時間程度)

古代食のその作り方のまず一つ目は、土鍋で作る方法です。こちらは所要時間が3時間もかかってしまいます。

2~5リットル分の牛乳を用意します。それをすべて土鍋に入れて強火で温めます。沸騰してきたら弱火にし、木のへらで根気強くかき混ぜ続けます。焦げ付かないようにかき混ぜ続けると、やがて水分が飛んでキャラメル色の固形物だけが残ります。

これで古代食の蘇の完成です。

フライパンで作る方法(2時間程度)

フライパンで作ると、土鍋で作るよりも1時間程度短縮されて2時間程度で完成します。

フライパンはテフロン加工のものが良いでしょう。ここに2リットル分の牛乳を注ぎ、沸騰するまで強火で温めます。牛乳が沸騰してきたら弱火にし、あとは焦げ付かないようにヘラでかき混ぜ続けるだけです。やがて水分が飛んでキャラメル上の固形物だけが残ります。

電子レンジで作る方法(30分程度)

電子レンジで作るとさらに時間短縮されて、なんと30分程度で古代食の蘇が出来上がります。

牛乳300ミリリットル程度を平たいお皿に注ぎ、そのまま電子レンジで10分程度温めます。お皿を出して牛乳の上に膜ができていたら、それをスプーンでかき集めて真ん中に寄せ、更に電子レンジで10分程度温めます。お皿を出して再び膜を中央部分に集めます。この時、もし全体的に白っぽかったら、もう一度10分程度温めましょう。

全体的に茶色くなってきたら、膜を中央部分に集め、今度は解凍モードで10分電子レンジでチンします。取り出すとキャラメル上のものがたくさん出来上がってきています。あとはお好みで解凍モードでのチンを追加して古代食の蘇の完成です。

まとめ

古代食の蘇の正式なレシピは現在もわかっていません。材料として牛乳を使い、煮詰めているというだけです。もしかしたら他にも何らかの材料が使われていたかもしれませんね。ただ、牛乳だけを使って作ることができるので、お手軽に挑戦することができます。是非、ご自宅で作ってみて古代食の蘇を味わってみてください。

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