飛鳥時代ってどんな時代?飛鳥時代の生活や文化について大解説!

 

飛鳥時代と聞いて、独特な髪型や服装を思い描く人も多いでしょう。飛鳥時代は日本が一つの国家として歩み始めた大切な時代でもあります。憲法や政治の体制が整い始めたのが、ちょうど飛鳥時代だからです。そんな飛鳥時代について、活躍した有名な人物や人々の生活、そして文化について紹介していきます。

飛鳥時代とは?

飛鳥時代とはどういう時代だったのでしょうか?

まずはざっくりした飛鳥時代の特徴について見ていきましょう。

飛鳥時代は「日本」という国家の始まり

飛鳥時代は、日本が一つの国家としてようやく動き始めた時代と言えます。

現在の日本に存在する憲法や政治的な制度などの基盤は、すべて飛鳥時代に作られました。

国民のためにより良い国づくりをしようと考えた人が多かったのですね。そして、その考えを積極的に実行に移そうとした人も多かったのです。

仏教が日本に定着し始めたのも飛鳥時代

飛鳥時代は仏教が日本に定着した時代でもあります。

仏教の教えを広くに伝え、生き方や考え方を積極的に多くの人たちに説いていたのです。

国を一つにまとめるには、同じ思想や考え方を持つ必要があります。その基盤として仏教が用いられたとも考えられるでしょう。

仏教という大きな軸を中心にして日本に住む人たちが心を一つにし、日本という国家を作り上げていったのです。

飛鳥時代に活躍した有名な人物

飛鳥時代には、その当時活躍した有名な人物が大勢います。必ず一度は耳にしたことがある名前ばかりです。

そんな飛鳥時代に活躍した有名な人物についてご紹介します。

推古天皇

飛鳥時代を代表する天皇といえば、推古天皇です。

推古天皇は日本で初めて女性の天皇としても有名です。また、「女帝」は当時の東アジアでも存在していなかったと言われています。そういう意味では、東アジアで最初の女帝とも言えるでしょう。

ただし、推古天皇は実在しなかったのではないか、という説もあります。何故なら、608年に随(ずい)から日本にやってきた人の記録では、当時の天皇は男性だったとされているからです。
608年の天皇と言えば推古天皇です。これが本当なら、当時隋からやってきた人は、女性の天皇にあっているはずです。隋から派遣されてきた人は、いったい誰にあったのかという謎が残ります。

また、推古天皇の存在は、聖徳太子にまつわる記述でしか登場しません。聖徳太子が登場しない書物では、推古天皇という名前は一切出てこないのです。
聖徳太子も存在しなかったという説がありますから、推古天皇も作られた人物なのではないかと言われています。

聖徳太子

聖徳太子は、「冠位十二階」や「十七条憲法」などのたくさんの功績を残したことで有名です。

日本では過去に2回、お札のモチーフとしても描かれています。

ただし、聖徳太子は実在しなかったのではないかと言われています。聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのおうじ)と同一人物だと言われています。ですが、この同一人物説を裏付ける記述はどこにもないのです。

聖徳太子については、詳しく解説している記事があります。そちらでは聖徳太子の謎についても詳しくご紹介していますので、参考にしてみてください。

小野妹子

小野妹子は、遣隋使として隋に派遣された人物です。

日本という国家をより強いものにするため、国家として絶大な力を誇っていた隋に赴き、政治や政策などについて詳しく学んだと言われています。

ちなみに小野妹子の子孫に、「世界三大美女」として有名な小野小町がいます。

中大兄皇子(天智天皇)

大化の改新で大活躍した中大兄皇子は、のちに天智天皇として日本を収めます。

日本を更により良い国にするため、遣唐使を派遣したのも天智天皇です。

飛鳥時代はどんな生活をしていたの?

飛鳥時代では、人々はどんな生活をしていたのか、詳しく知らない人も多いでしょう。

服装はもちろん、食べ物も今とは全く異なっていました。

そんな飛鳥時代の人々の生活についてご紹介します。

飛鳥時代の食べ物

飛鳥時代は、その階級や地位によって食事の内容が大きく異なっていました。

● 貴族
鯛やアワビ、古代のチーズなどのようなかなり高価なものが食べられていました。

ただ、かなり高カロリーなものも多く、現在の成人病になって亡くなる人も多かったと言われています。

また、貴族の食事は1日2回でした。動くことがあまりなかったのでお腹が空くということがほとんどなく、1日2回の食事で充分だったようです。

● 下級の役人
玄米を主食に、メインのおかずや副食もありました。メインのおかずによく食べられていたのはイワシだったようです。お味噌汁やお漬物もあり、おかずの種類は豊富だったとされています。

下級の役人は身体を動かしたり、遅くまで仕事をすることもよくありました。貴族よりもお腹が空くので、食事以外に間食も食べていたと言われています。

● 庶民
主食は下級役人と同じ玄米です。ただ、一汁一菜が基本だったので、おかずはほとんどありません。栄養のバランスが悪かったということです。そのため、栄養失調で亡くなる人もいたと記録されています。

庶民は農作業などのような重労働が多いため、食事は1日3回が基本でした。

飛鳥時代の服装

飛鳥時代の服装は、食事と同じく身分や位によって様子が異なっていました。

また、身分が高い人になると男性と女性とで服装も異なっていたようです。

● 貴族(男性)
男性はその身分や位によって、服や持ち物の色が決まっていました。一目見ただけで、どういう身分や位の人なのかがわかるようにしていたのですね。

服はゆったりしたレインコートのようなものを着ていました。そのままでは裾が広がってしまうため、腰で紐を締めて固定していました。
下は袴ですが、現在のような裾が広がったものではありません。とび職の人が履いているようなズボンを履いていました。

● 貴族(女性)
女性はゆったりした着物のようなものを着ていました。裾は着物ほど長くありません。ただ、袖はかなり長めでゆったりしています。
下はとても長いスカートのようなものを履いていました。裾が引きずるくらい長いスカートです。また、模様も縦じまと決まっていたそうです。

● 庶民
庶民の服装は、弥生時代からあまり変化がありません。一枚の布に首を通す部分を空けたような服を着て、腰の部分に紐を巻いて固定していました。
色も白がほとんどで、染めたりすることはなかったようです。染色は高貴な人の象徴とされていたのでしょう。
男性も女性も似たような恰好をしていた、というのも特徴の一つと言えるでしょう。

飛鳥時代に生まれた娯楽文化

現在の娯楽という文化は、飛鳥時代に生まれました。

娯楽文化を楽しんでいたのは、貴族のような高貴な家柄の人だけです。庶民は生きることに忙しかったため、娯楽を楽しんでいる時間はありませんでした。

貴族だけが娯楽文化を楽しんでいましたから、その内容はいかにも貴族らしい優雅なものばかりです。

小弓(こゆみ)

小弓は室内で遊ぶ娯楽です。

室内に布を張り、その前に小さな錘(おもり)を吊り下げます。これを、小さな弓矢を使って当てるゲームです。

蹴鞠(けまり)

こちらは外で遊ぶ娯楽です。

美しく刺繍された小さな鞠(まり)を、複数人で蹴り上げ合って遊びます。

勝敗はなく、いかに相手が受け取りやすいように鞠を蹴るかに気を配ります。相手が上手に鞠を蹴ることができなければ、それはその人に鞠を蹴った人が悪い、ということになります。

飛鳥時代のその他の文化

飛鳥時代には、現在では考えられないような文化もありました。

飛鳥時代に発展した独自の文化について紹介します。

飛鳥時代の結婚事情

飛鳥時代の結婚事情として、高貴な出の人は近親結婚が多かったということが挙げられます。自分の血筋を絶やさないためと、自分の血筋に位が低い人の血を取り入れないためです。
また、血縁関係以外の人を自分の血縁に入れてしまうと、権力争いが起こる可能性が高くなります。そのような無益な争いを避けるという目的もあったようです。

また、男性は重婚が許されていました。女性を養う力があるのなら、何人でも妻を持つことができたのです。

無益な殺生は禁止

飛鳥時代は、無益な折衝は禁止されていました。生類憐みの令に近い決まりがあったようです。ただし、シカやキジは畑を荒らすので食べても大丈夫だったようです。

禁止されていたのは無益な殺生ですから、畑を荒らすという人間の生命にかかわる理由があるのなら仕方がない、という考え方だったのです。

まとめ

飛鳥時代は、今以上に地位や身分が重視されていました。地位や身分が高ければ、優雅な生活が保障されていたのです。

このような格差をなくそうと努力していた人たちもいたようですが、実際にはなかなか難しく、政策も遅々として進まなかったようです。

時代は変わっても生活の格差はなくならないということなのかもしれません。

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