法隆寺にはさまざまな謎があり、七不思議があるとされています。ですが、実際には七不思議どころではなく、不思議だとされていることはまだまだたくさんあるのです。そこで、この記事では特に法隆寺の七不思議として知られている事象の内容と真相、更にそれ以外の事象についても解説します。
もくじ
法隆寺の七不思議とは?
法隆寺にはさまざまな七不思議があります。その七不思議の真相を求めて、法隆寺を訪れる人もいるのだとか。
まずは法隆寺の七不思議全般について見てみましょう。
法隆寺の七不思議は文献に記載がない
法隆寺には七不思議があるというのは、かなり多くの人たちが知っており、有名な話でもあります。また、数ある法隆寺の七不思議の中には、「確かに」と思ってしまうようなものもいくつかあります。
ですが、実際に法隆寺の七不思議に関する事象については、文献に記載がありません。明確な文献に記載があったから、「これが法隆寺の七不思議」と言われているわけではない、ということです。
法隆寺の七不思議が始まったのは江戸時代から
法隆寺の七不思議が語られるようになったのはいつの頃からかと言うと、意外と古くて江戸時代からだと言われています。なぜ江戸時代からだと言われているのかと言うと、「本所七不思議」が江戸時代からだと言われているからです。
江戸時代には、全国各地で不思議な話が生まれました。江戸時代の人たちの一つの娯楽だったのです。「本所七不思議」はそんな江戸時代に生まれた不思議な話や怪談の一つですが、本所だけではなく、日本全国にもこのような七不思議は数多く存在しています。
法隆寺の七不思議が生まれたのも、そんな「本所七不思議」と同じくらいの江戸時代から始まったのではないかと言われているのです。江戸時代に住んでいた人たちの娯楽の一つとして、法隆寺にまつわる七不思議も作られたのだろうというのが有力な説です。
建立した人が聖徳太子だからという噂も
法隆寺の七不思議のそもそもの発端となっているのは、建立した人が聖徳太子だからという噂もあります。聖徳太子は謎の多い人物で、常人ではありえないような伝説を数多く残しています。それらの伝説の中には、神がかったとしか思えないようなものもあります。特に手のひらにお釈迦様の骨を握って生まれたという伝説は、その最たるものと言えるでしょう。
このように不思議な伝説が多い聖徳太子が建立した法隆寺もまた、不思議なことがたくさんあるだろうと多くの人が考えたのでしょう。
法隆寺の七不思議とその真相
法隆寺の七不思議とは言いますが、実際に法隆寺にまつわる不思議話は7つでは到底収まりません。実際はもっとたくさんあるのです。数ある不思議話の中でも、とくに有名なものだけを7つ集めて、「法隆寺の七不思議」と称しています。
まずはそんな多くの人たちが知っている有名な「法隆寺の七不思議」とその真相について解説します。
雨だれの穴が地面にない
「法隆寺の地面には雨だれの穴がない」という七不思議は、法隆寺の軒下の地面に本来ならできるはずの雨が落ちた後の穴がないという意味です。通常、建物の軒先の下の地面には、雨粒が落ちた際の穴が空きます。ですが、その穴が法隆寺の軒下にはないと言われているのです。
実際にはあります。よく探すと法隆寺の軒下の地面には雨だれの穴があります。
それでは、どうしてこのような七不思議が生まれたのでしょう。それは、法隆寺の周りの水はけが大変良いからです。他の神社仏閣に比べて法隆寺の境内の水はけは大変良いと言われています。よほどの大雨ではない限り、水たまりもできにくいのだとか。その水はけの良さを誇張して、このような七不思議が生まれたと言われています。
蜘蛛はいても巣を作らない
「法隆寺には蜘蛛が複数いるけれど、なぜかどの蜘蛛も巣を作らない」という七不思議は、法隆寺には蜘蛛の巣が見当たらない、ということを表しています。確かに法隆寺でよく探せばさまざまな大きさの蜘蛛は住み着いています。ですが、天井の隅などを探しても蜘蛛の巣は見当たらないのだとか。
これも単なるお話で、法隆寺の隅をよく探せば、蜘蛛の巣を見つけることができます。ただ、他の神社仏閣に比べると、確かに蜘蛛の巣を見つけることは難しいかもしれません。
何故なら、こまめに掃除がされているからです。法隆寺のご住職たちは毎日こまめに掃除をされています。そのため、蜘蛛が巣を作ってもすぐに取り払われてしまい、蜘蛛の巣が見つけにくくなっているのです。
五重塔の九輪に刺さる4本の鎌
五重塔の上部には九輪と呼ばれている9つの輪があります。この輪の部分に4本の鎌が刺さっているという七不思議です。一時期は、この4本の鎌が夜中になると上下に動くとも噂されていました。
これは実は鎌ではなく、雷よけです。当時は五重塔は大変高い建物だったため、雷が落ちる可能性が高かったのでしょう。雷が落ちて焼け落ちるのを防ぐために、このようなものをつけたのだと言われています。
法隆寺の境内にある3つの伏蔵
「伏蔵(ふくぞう)」とは、地下に作られている蔵のことです。この地下の蔵が法隆寺の境内には3つあるという七不思議です。
七不思議でもなんでもなく、実際に法隆寺の境内には3つの伏蔵があります。この伏蔵には、法隆寺が天災などで破損した場合に再建できるように、財宝が収められています。ただ財宝と言っても金銀ではなく、「鎮壇具(ちんだんぐ)」と呼ばれる法具で、法隆寺を災いから守るためのものです。
因可池の片目のカエル
法隆寺内にある因可池(よるかのいけ)に住むカエルはすべて片目しかない、または片目しかないカエルがいるという七不思議です。
実際にはそのようなことはありません。確かに因可池にはカエルが住んでいますが、どれもちゃんと両目があります。
これは、聖徳太子が勉強をしている時にカエルの鳴き声がうるさすぎて集中できないことがありました。そこで、静かにするように筆でそっとカエルの目をつついたところ、カエルが片目だけになってしまったという伝説がもとになっています。
南大門前の鯛石
法隆寺の南大門前に、鯛の形をした鯛石が埋め込まれているという七不思議です。実際に南大門に赴くとわかりますが、鯛の形をした石が埋め込まれています。
これは七不思議でも何でもありません。本当に鯛の形をした石を意図的に埋め込んであるのです。
鯛の形をした鯛石を埋め込むと、その石以上に水位が上がらないと言われていました。今でいうところの水害よけだったのです。
汗をかく夢殿の礼盤
「礼盤(らいばん)」とは、僧侶が座る台のことです。夢殿にある礼盤の裏側はある条件を満たすと汗をかくという七不思議です。
礼盤を日光に当てると座る場所の板の裏側から水滴のような水が浮き出てくると言われています。この水滴を見て豊作か凶作かを占っていたのだそうです。
法隆寺のその他の不思議話とその真相
法隆寺には七不思議として有名なお話だけではなく、それ以外にもまだまだたくさんの不思議話があります。そのいくつかをご紹介しながら、真相にも迫ってみましょう。
舎利を通して見える太子
「舎利(しゃり)」は、聖徳太子が握っていたとされているもので、水晶でできた五輪塔の中に納められ、舎利殿に安置されています。この舎利を真正面から見ると、水晶でできた五輪塔を通して聖徳太子が見えると言われています。
ですが、実際にそのようなことはありません。そのような信仰があっただけです。
日本書紀に法隆寺再建の記載がない
実は日本書紀によると、法隆寺は2度焼失したことがあると記されています。ですが、その後再建されたという記録がまったくありません。
焼失というくらいですから、かなりの損害があったことが予想されます。それなのにどれくらいの期間を経て再建されたのかという記載がどこにもないのです。なぜその記録を残さなかったのかが謎とされています。
まとめ
法隆寺の七不思議について解説してきました。法隆寺の七不思議はこれ以外にもまだまだたくさんあります。実際に法隆寺に赴いて探してみると、新しい謎が見つかるという噂もあるくらいです。ぜひ一度法隆寺を訪れてあなただけの七不思議を見つけてみてください。