レッツ開運!縁起の神様【七福神】の全員の名前言えますか?

 

幸運や金運を授けてくれるご利益・開運の神様、七福神。江戸時代中頃に人々に定着し、今や日本人に非常に馴染み深いですが、その始まりや7人全員の名前はご存知ですか?この際、名前やどんな神様か知ってみませんか?

七福神の始まり

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七福神とは、福徳(幸福と財産)の神様として古くから信仰されている7柱の神様のことをいいます。

(神様は1人、2人ではなく1柱、2柱と数えます。読み方は「はしら」です)

仏教経典の「七難即滅七福即生(しちなんそくめつしちふくそくしょう)七難を消滅すれば、七福が生ずる」から、七福神の信仰が生まれたそうです。

室町時代(1336年~1573年ごろ)のころから、幸運、金運、福を授けてくださる神様としてまとめて信仰されるようになりました。

宝船に乗っている絵が多いのは、七福神が海の向こうの世界からいらっしゃるという発想からきているそうです。

そもそも仏教経典から七福というのはきているのですね。
室町時代からまとめて信仰されるようになったというのは、大雑把というか豪気というか面白い現象ですね。

「七福神」全員の名前言えますか?

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庶民の身近にあって暮らしに幸運をもたらす七柱の福の神「七福神」が、現在のような形で人々に定着したのは江戸時代中頃。浮世絵にも宝船に乗った七福神が描かれ、正月には初詣でを兼ねての七福神詣でが庶民の間で盛んに行われた。
それまでは三福神だったり五福神だったり、神々も一定ではなかったが、享和年間(1801~3)には恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人と、今の顔ぶれに落ち着いたという。実はこの七柱のうち恵比寿を除いて六柱はインドや中国など海の向こうからやってきた神々。国際色豊かというかエキゾチックなメンバー構成なのである。
七福神の原型は室町時代、しかし今の形になったのは江戸時代中期ということになるようですね。
一柱を除いて海外の神であるという、まさに日本人の宗教的無節操さは今に始まったことではない証拠です。

恵比寿

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エビスは釣竿を持ち鯛を抱えた福々しい姿の福神で、関西では「えべっさん」の愛称で親しまれている。
 エビスには夷・戎・恵比寿・恵美須などの字があてられ、その語源は、異邦人や辺境に住む人々を意味するエミシ・エビスの語に由来するとされている。おそらく、生活空間の外部にある異郷から福をもたらす神としてイメージされたらものしい。
当初は漁業の神として崇められていたものが、徐々に商人にも広がり商業の神にもなったという神様です。恵比寿様には諸説あり伊弉諾と伊弉冉の子で、障害によって三歳になっても立つことができず、葦の船に乗せて流されたとされるたりなど、なかなかハードな過去の説もある。
しかし、伊弉諾と伊弉冉の子となれば主神クラスであり、この説をとれば非常に神格の高い神様となる。

大黒天

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七福神の大黒天は、福徳や財宝を与える福の神ですが、原形は闇の神様です。

大黒は梵語の摩訶迦羅 マハー・カーラ の訳です。マハーが大で、カーラが黒です。ヒンズー教ではシヴァ神の化身で、シヴァ神が世界を灰にする時、この姿になるとされています。

また姿も七福神の大黒さまとはかなり異なり、恐ろしい姿をしています。曼荼羅の中に描かれている大黒天は後者に近い姿です。密教では自在天の化身です。

この恐ろしい神様をどうして日本人は今の大黒様にしたのでしょうね。
神仏習合により大黒様は大国主命と結び付けられ、今は出雲大社に祀られています。
もしかしたら、大国主命から国譲りをされたとされる天照神の系譜とされる大和朝廷にとり、大国主命はいつ世界を滅ぼすかもしれない闇の神だったのかもしれませんね。

毘沙門天

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起源を辿ればインドの古代神話に登場し、ヒンズー教ではクベーラという財宝の神様だったのですが、その方はなんと8本の歯に3本の足を持った小人という変な姿だったようです。
その後、仏教に帰依し世界の中心「須弥山(しゅみせん)」を守る四天王になって有名になりました。
毘沙門天は、四天王の一人として語られるときは「多聞天(たもんてん)」と呼ばれています。
漢字で書くと全く違うもののようですが、梵語(サンスクリット語)では、ベイシラマナといい、これは「すべてのことを一切聞きもらさない知恵者」という意味で、多聞と訳すこともできるのです。
道教では封神演義に出てくるナタクの父、李靖のこととされ、中央アジアで戦勝の神として信仰された時に、甲冑をつけた姿で表されるようになったようです。日本でも、足利尊氏や上杉謙信などの戦国武将に戦の神として信仰されました。
インド神話から仏教、道教そして日本の神へと色々と変遷を経てきた神様ですね。
ただ、日本の神としては仏教的・道教的神であり、インドの財宝の神様という印象はなくなっていますね。
いかめしくも知恵も回る軍神というのは、いつの時代も人の心をつかむのかもしれませんね。

弁財天

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●弁財天は七福神の中で唯一の女性の神様です。七福神は元々インドから伝わった神様が多く、 弁財天もインドから伝わっています。古代インドでは「サラスバティー」という河の神様で、農業や 水の神様として崇拝されていました。日本に伝わってからも、水辺に祭られる事が多いおなじみの 神様です。

●弁財天は学問、芸術、財産の神様です。古代インドのサラスバティー河が心地よい音を奏でな がら流れているという事から、サラスバティーは音楽の神様とされていました(サバスティーの図像を見る とヴィーナーという、日本でいう琵琶をもった姿で表現されています)。このため日本の弁財天も琵琶を持った姿 で描かれ、音楽の神様であることから、やがて芸事全般の神様と崇められるようになりました。

●芸術の神様なので、古来日本では「弁才天」と書かれていたのですが、やがて「才」と「財」が入れ 替わって「弁財天」と表記されるようになりました。「銭洗い弁天」に代表される福徳財宝を授ける神 様としての御利益も加わったのはこの為だとされます。さらに「芸道上達祈願」から「学問追求」の 御利益も派生し、やがて学問の神様ともされるようになったのではないかと思います。

弁財天もインド系の神様ですね。
他の神様もそうですが、拡大解釈を結構されるものですね。
ところで、弁財天はかなり嫉妬深いとかでカップルでお参りすると別れるのだとか。
どこから来たのか分かりませんが、女性という点が強調された結果でしょうか。

布袋尊

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布袋尊は、七福神の中で唯一中国(唐の時代)に実在した禅僧です。
吉凶や天候などを占ったことから、仏教の弥勒菩薩の化身とも言われています。

長丁子と号した唐代末期の禅僧・契此をはじめ、宋の僧了明、棗陽の張氏の男など、四人が布袋和尚として伝えられています。彼らはいずれも額が広く、巨大な太鼓腹に、体躯は肥って背低く、いつも半裸という風体。杖と大きな布の袋を携え、袋の中に身の周りの持ち物を入れて、放浪生活を送っていました。食べ物を施されると、少しだけ食べて残りは袋の中にしまっておくのが常だったといいます。

悠悠自適「泣いて暮らすも一生。笑って暮らすも一生。同じ暮らすなら笑って暮らせ」といった、楽天的な布袋和尚の生き方が、当時の禅僧をはじめとした人々に「至福」の象徴として受け入れられたと考えられます。

中国ではこの布袋を本尊に祀る寺院が多く、不良長寿・無病息災・開運・良縁・子宝・夫婦円満・金運の神とされております。

実在の人物が出てきましたね。
悠々自適な考え、生き方というのは今の時代でも理想ですね。
できればこのような考えで生きていたいものです。

福禄寿と寿老人

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福禄寿と寿老人は、中国の道教が起源の神で、何れも長寿の福神である。他のメンバーのように、日本にきてから神道や仏教と結び付けて考えられたということもなく、中国から輸入されたイメージが、ほとんどそのまま生かされている。
 福禄寿・寿老人とも、禅宗の伝来とともに、水墨画の画題として日本に輸入されたといわれる。しかし、七福神という形以外では、単独で信仰されたことがほとんどなかった。
 寿老人は福禄寿と同体異名とされることが多く、寿老人の変わりに吉祥天や猩々を加えることもあった。

また、福禄寿と寿老人は道教で祀る星宿の化身で、生を司る南極老人の化身ともいわれている。日本では、北極星や北斗七星を神格化した妙見菩薩に対する信仰はあったが、南極星に関してはなかった。そのためか、福禄寿や寿老人が七福神以外にはほとんど信仰の対象にならなかったのであろう。

この二柱はほぼセットで考えられることが多いですね。
なぜか七福神の中で司っている福がかぶるという謎な神です。
元々南極寿星から別れたとも言われており、七の数に合わせるために二人とも入れたなどとも言われている、なかなか厳しい立ち居地の神です。
不老長寿が人間の夢と言いながらなかなかひどい扱いではあります。

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