世界文化遺産に登録された法隆寺!その歴史や魅力や七不思議をご紹介!

 

奈良県にある仏教寺院の法隆寺。法隆寺は聖徳宗の総本山で、1993年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。聖徳太子ともゆかりが深い法隆寺には、不思議な逸話があるのをご存知でしょうか?法隆寺の歴史をご存知ない人もいるでしょう。そんな歴史や魅力と共に七不思議についても紹介します。

もくじ

法隆寺の歴史を知ろう

法隆寺は奈良県生駒郡にある仏教寺院で、聖徳宗の総本山でもあります。聖徳宗の総本山ですから、聖徳太子とも大変ゆかりが深いお寺なんですね。

そんな法隆寺の歴史について、より深く調べてみました。

建立されたのは7世紀

法隆寺が建立されたのは7世紀頃と言われています。具体的な年代では601年頃とのこと。601年から法隆寺の建立が始まり、完成したのは605年頃だそうです。

推古天皇が日本を治めていた時代です。現在の寺院は神様をお祭りするための建物ですが、当時の寺院は住むための家でした。法隆寺も居住目的で建立された建物なのです。

当時は仏教を日本中に定着させようという動きが大変活発でした。多くの人たちに影響力のある天皇や王侯貴族が寺院に住むことで、仏教をより定着させようとしていたのですね。

建立したのは聖徳太子といわれている

「日本書紀」では、法隆寺を建立したのは聖徳太子だと書かれています。目的は、聖徳太子本人が飛鳥から移り住む為だったようです。

聖徳太子が住んでいた飛鳥は、現在の高市郡明日香村付近にあたります。その飛鳥から、法隆寺が建立された生駒郡に移り住んだ理由は、里を一面に見渡すことができるからでした。

いつも里を見渡しながらそこに住む人たちのことを考え、治政を進めていこうという考えが聖徳太子の中にあったのかもしれませんね。

法隆寺は一度焼失している

法隆寺は実は一度焼失していると言われています。

法隆寺は創建以来一度も火災に遭っていない、建立された当時からそのまま残っている寺院と考えられていました。

ですが1887年、日本書紀に「670年に法隆寺が全焼した」という記述が発見されます。更に1939年に行なわれた発掘調査で、旧法隆寺の塔と金堂の痕跡が発見されました。この発見が証拠となって、一度全焼したという説が確かなものになりました。

法隆寺の見どころをご紹介

世界遺産の法隆寺には、たくさんの見どころがあります。あまりに見どころが多すぎて、何を重点的に見れば良いのか、わからなくなる人もいるでしょう。

そこで、法隆寺の見どころを4つに絞って紹介します。

五重塔

法隆寺の五重塔は、日本最古の塔と言われています。木造の五重塔は、日本では全部で11基あります。ですが、その中でも法隆寺の五重塔は、もっとも歴史が古いのです。

五重塔は屋根だけ数えると六重塔に見えます。そのため、「六重塔の間違いでは?」なんて思う人もいるようです。

実は最下の屋根は見せかけの屋根なのです。法隆寺の屋根を支える隅木が、その重みに耐えきれずに下がってきてしまいました。そこで、それ以上下がらないように最下の隅木の下に、支えるための木の棒を当てがいました。ですが、そのままでは見た目が木の棒が見えてしまって大変格好悪くなってしまいます。そこで、その棒を隠すために、窓や壁を取り付けて見た目を良くしました。その結果、最下の下に更に屋根ができて六重塔のように見えるようになったのです。

中門と金剛力士像

中門は、法隆寺の中心となる西院伽羅の入口の門です。法隆寺に現存する飛鳥建築の一つで、当時の建築技術を学ぶ為の貴重な資料でもあります。

中門の両端に安置されている金剛力士像は、日本国内にある仁王像の中でも最古の仁王像といわれています。
金剛力士像の見どころは、粘土で塗り固められて像だということです。多くの仁王像は一本の木から掘り出されています。ですが、中門に安置されているこの金剛力士像だけは、粘土で塗り固められた大変珍しい仁王像なのです。

ご本尊が祀られた金堂

五重塔と並んで、世界最古の木造建築です。

中には釈迦三尊像、四天王立像といった「飛鳥仏」と呼ばれる仏様が安置されています。

回廊

西院伽羅を取り囲む廊下です。この回廊も法隆寺で残っている飛鳥建築の一つです。

当時はこの廊下を聖徳太子のような高貴な人たちが行き交っていました。そんな場面を想像しながら歩いてみると、当時にタイムスリップした気分になれるかもしれません。

釈迦三尊像

釈迦三尊像は、金堂に安置されている仏像の一つです。止利仏師の作で、飛鳥仏の傑作のひとつと言われています。

釈迦如来像を中心に、菩薩像が両脇に控えた3体の仏様で構成されています。

法隆寺にまつわる七不思議

法隆寺には七不思議があるのをご存知ですか?

法隆寺はあまりに歴史が長いため、さまざまな憶測が飛び交いやすい寺院でもあります。まだ解明されていないことも多いため、七不思議なんていうちょっとわくわくするような逸話が生まれたのかもしれません。

そんな法隆寺にまつわる七不思議について紹介します。

①法隆寺には蜘蛛の巣がない

法隆寺には蜘蛛の巣がないと言われています。

通常、どこの寺院でも屋根や人目につかない場所では蜘蛛が巣を張ります。ですが、法隆寺に住み着いている蜘蛛だけは、なぜか蜘蛛の巣を張らないと言われているのです。法隆寺というありがたい場所では、蜘蛛も巣を張るのがためらわれるなんて噂も出ています。

実際には、そのようなことはありません。法隆寺に住んでいる蜘蛛も、他の蜘蛛同様に蜘蛛の巣を張ります。ただ、蜘蛛の巣を見つけたら丁寧に取り除くようにされているのです。

②南大門にある鯛石と呼ばれる奇妙な石

法隆寺を訪れたら、南大門に行ってみてください。階段の下の地面に、鯛の形に似た踏み石が埋め込まれています。

この鯛石には、どんなに大雨が降っても水位がこの鯛石のあたりまでしか上がらない、という意味があるそうです。

③五重塔の頂上に大きな鎌が四本刺さっている

法隆寺にある五重塔の頂上に注目してみてください。大きな鎌が四本刺さっているのが見えるでしょう。

この四本の大鎌は、聖徳太子が怨霊を封じ込めるために使用した鎌だと言われています。

ですが、実際には落雷を防ぐ為のものです。雷という魔物を防ぐ為の魔除けの意味もあるようです。

④法隆寺の中庭には伏蔵(ふくぞう)が3つある

「伏蔵(ふくぞう)」とは、地中深くに埋められた宝の蔵のことです。この宝の蔵が、法隆寺の境内には3つもあるというのも、七不思議のひとつとされています。

実際に3つあります。ただ、もともとこの伏蔵は、建物が無事建立されることを願う「鎮壇具(ちんだんぐ)」と呼ばれるものを埋めていました。神様にお願いするための宝物を埋めていたんですね。

このような少し現実離れした行動から、七不思議のひとつとして取り上げられるようになったようです。

⑤法隆寺の蛙は片目

法隆寺の境内にある因可池(よるかのいけ)という池には、片目の蛙がいると言われています。

聖徳太子が学問に励んでいるとき、蛙の鳴き声が気になって集中力が途切れてしまうことがよくあったのだとか。静かにして欲しいという思いから、聖徳太子が蛙の目を筆で軽くつついたところ、因可池の蛙はすべて片目になってしまった、という伝説です。

実際にはそのようなことはありません。ただ、よく探してみると片目の蛙が見つかるかも?

⑥夢殿のお坊さんが座る台の下が汗をかいている

昔、夢殿のお坊さんが据わる台の下が汗をかくと、その年は豊作になるという吉凶占いがありました。

これが転じて、このような七不思議が出来上がったものと思われます。

⑦雨だれが地面に作る穴がない

法隆寺の境内の中は、ほとんどが土です。それなのに、屋根から落ちる雨だれの穴ができない、という噂が流れました。

実際は、法隆寺の境内の土が大変水はけが良いという事実が、かなり誇張されて伝わった結果です。法隆寺を訪れるとわかりますが、雨だれの穴はいくつも見られます。

法隆寺のご利益

法隆寺にはさまざまなご利益があります。

その中でも大変有名なご利益について紹介します。

西円堂奉納鏡

鏡を奉納するというお参りの方法があります

その鏡の中でももっとも古い鏡とされている「松喰鶴の図円鏡」の写しに願い事を書き、西円堂の柱に取り付けて奉納します。

金額は1枚25,000円と少し高めです。

聖徳太子笏形お札

入学祈願や学業成就にご利益があります。

聖徳太子が手に持っている笏の形の木の御札を奉納します。

まとめ

世界文化遺産に登録された法隆寺は、その歴史の長さから、まだまだ解明されていない謎が数多くあります。

法隆寺にまつわる不思議に思いをはせながらお参りをすると、ますます法隆寺の魅力を感じられるでしょう。

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