厄病退散で知られている妖怪アマビエ!その始まりや正体とは?

 
アマビエ

コロナウイルスの影響で注目が集まっている妖怪アマビエ。初めて聞いたという人もいるでしょう。アマビエとはどういう存在なのでしょうか?妖怪なのになぜ、疫病退散に縁起がいいとされているのでしょう。妖怪アマビエの正体などに迫ります。

もくじ

妖怪アマビエが生まれた時期や場所は?

アマビエ
コロナウイルス蔓延の影響で、突如注目を集めることになった妖怪アマビエ。コロナウイルスの流れで初めて聞いたという人もいるかもしれません。ですが、妖怪アマビエ自体は昔から噂されている古い妖怪なのです。

妖怪アマビエはどこで生まれたのでしょうか?妖怪アマビエが生まれた時期と合わせてご解説します。

江戸時代後期の瓦版に妖怪アマビエが登場

妖怪アマビエが初登場するのは、江戸時代後期に刷られたとされる瓦版です。瓦版は現在の号外のような新聞でした。多くの庶民の人たちが読む新聞なのですが、この瓦版に「妖怪アマビエが出た」という記事が載りました。

ただ単に文字だけなら信じる人はそれほど多くなかったかもしれません。。ですが、妖怪アマビエが出たという瓦版には、妖怪アマビエの絵も掲載されたのです。絵があるというだけで信ぴょう性が増し、多くの人たちが注目しました。

その後、妖怪アマビエが出たという目撃談があらわれることはなくなり、やがて多くの人たちから忘れ去られていきました。江戸時代には、このような妖怪話や不思議話が大変多かったため、それらに埋もれてしまったのです。

それから時は流れて現代。コロナウイルスという未知の病気が蔓延したことで、藁(わら)にもすがりたいと思う人が続出しました。そのような願いから、再び妖怪アマビエが注目されるようになりました。

熊本県に現れたとされているが発祥は京都府

妖怪アマビエが現れたとされているのは現在の熊本県です。ただ、妖怪アマビエが現れたという目撃談が刷られた瓦版は京都で発見されています。

また、熊本県では妖怪アマビエについての伝承は皆無と言っても過言ではありません。本当に熊本県で妖怪アマビエが目撃された野原、そのことが何らかの記録として残っていてもおかしくないはずです。ですが、そのようなことはまったくありません。

妖怪アマビエの存在が唯一書かれているのは、京都で発見された瓦版のみなのです。瓦版はその場所で作成されて刷られ、配られます。熊本で作成された瓦版が京都へ流れてきたという考えも100%とは断言できませんが、肝心の熊本では妖怪アマビエのことについて書かれた瓦版は発見されていません。

また、妖怪アマビエについて書かれた瓦版は、京都で発見された瓦版だけです。他の地域でも妖怪アマビエについて書かれた瓦版は発見されていないのです。

たった一枚だけというのも大変気になるところですが、京都で発見されたたった一枚の瓦版のみに妖怪アマビエが登場することから、本当の妖怪アマビエは京都で生まれたのではないか、と言われています。ただし、肝心の京都でも妖怪アマビエの噂や伝承はほとんど残っていないというのが現状です。

妖怪アマビエの見た目

アマビエの粘土細工
妖怪アマビエとはどのような姿をしているのでしょう?京都で発見された瓦版には妖怪アマビエの目撃談と共にその姿が絵として描かれています。

どのような姿をしているのか気になる人もいるでしょう。そこで、伝承されている妖怪アマビエの見た目についてご紹介しましょう。

伝承されている妖怪アマビエの姿

伝承されている妖怪アマビエの姿の注目すべき点は、長い髪であったという点です。実際の妖怪アマビエの大きさはどれくらいかわかりません。ですが、その髪は足元まで伸びていたとされています。「髪」というくらいですから、実際に人間の髪の毛のようなものが生えていたのでしょう。

また、くちばしとうろこがあったそうです。くちばしと言うと鳥をイメージさせますが、身体にはうろこがあったということですから、魚っぽいイメージが湧きます。ただ、魚の口は鳥のくちばしのようにとがっています。そのため、とがった口がくちばしのように見えたのではないかと言われています。

最後に足は3本あったとのこと。人間や鳥なら2本足ですし、魚なら足は当然ありません。このあたりが妖怪っぽさを醸し出しています。

瓦版に描かれているアマビエの姿は本物?

京都で見つかった瓦版には、妖怪アマビエの姿を表した絵が描かれています。この絵は、実際に妖怪アマビエを見たとされている役人が描いたものなのだそうです。

発見されたのは現在の熊本県ですから、熊本県の役人が妖怪アマビエに遭遇し、「疫病が続くから、私の姿を描いたものを多くの人たちに見せるように」と予言を受けたことになります。役人と役職柄「嘘をつくわけがない」という点と、絵が描かれたという点から、本当に妖怪アマビエがいたとされています。

ただ、肝心の熊本県では妖怪アマビエについての伝承がまったくない点と、「多くの人たちに見せるように」と言いながら、妖怪アマビエが描かれた瓦版が唯一京都でしか発見されていないという点に大きな疑問を感じる人も多くいます。

妖怪アマビエと他の妖怪の類似点

江戸時代を思わせる室内
妖怪アマビエは、実は他の妖怪から派生して生まれたのではないかと言われています。それがアマビコと山童(やまわらわ)です。

妖怪アマビエとアマビコ、山童についての水辞典について解説します。それぞれの妖怪についても解説しますので、参考にしてください。

妖怪アマビエとアマビコの類似点

アマビコとは、予言妖怪と言われている妖怪の一種です。江戸時代後期から明治時代の中期にかけて作成された資料などに、アマビコが多く登場します。

見た目は髪の毛のような黒い毛で全身が覆われており、3本以上の足を持っていたとされています。また、アマビコは豊作や疫病を予言して人間を助けたという伝承が多く見られます。

髪の毛のような黒い毛や3本以上の足、そして疫病を予言したとされる点が、妖怪アマビエと大変似ています。また、アマビコは熊本県での確認がもっとも多くあります。この点も妖怪アマビエは実はアマビコなのではないか、と言われています。

妖怪アマビエと山童の類似点

山童(やまわらわ)も、アマビコと同じ予言妖怪とされています。ある日、山の中で山童に遭遇し、「悪い病気が流行する。ただこの時、私の姿を見た者は病を免れて長生きできる」と予言して消えていったと言われています。

山童の見た目は、髪の毛を想像させるほど長くはありませんが、真っ黒の毛で全身が覆われていたそうです。そして、足は3本あったと言われています。また、山童が目撃されたのは、現在の熊本県なのです。

予言の内容や見た目はもちろん、目撃されたのが熊本県という点が妖怪アマビエと大変似ています。この点から、妖怪アマビエは山童を参考にして生み出された妖怪ではないかと言われています。

まとめ

いかがでしたか?妖怪アマビエは疫病を予言した妖怪と言われてます。その目撃証言はたった一枚の瓦版しかなく、熊本県で目撃されたと言われている割には、瓦版自体は京都で発見されています。また、肝心の熊本県では妖怪アマビエに関する伝承がありません。

謎に包まれた妖怪アマビエですが、疫病を予言し、また追い払ってくれる妖怪として伝わっていることは事実です。コロナウイルス対策の一環として、妖怪アマビエの絵を飾ってみると良いかもしれません。きっとご利益があるでしょう。

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