きたいの童子って知ってる?あまり知られていないきたいの童子とは何者?

 
鬼の角をまねた子供

コロナウイルスの影響で、疫病退散が日本全国に広まりつつあります。その中で、神様だけではなく、妖怪の力にすがろうという動きも見え始めています。疫病退散のご利益があるとされる妖怪の中でも、今回はきたいの童子についてご紹介しましょう。

もくじ

きたいの童子とは?

神田明神の狛犬
きたいの童子という妖怪を知っていますか?コロナウイルスの影響で、疫病退散の妖怪が注目を集めつつあります。実は、きたいの童子もそんな疫病退散のご利益があるとされる妖怪なのです。ただ、あまり有名ではありません。

そこで、きたいの童子とはどのような妖怪なのかについてご紹介しましょう。

江戸時代に登場する予言獣

きたいの童子は江戸時代に登場する予言獣です。「悪病除之事」という資料にきたいの童子の記述が残されています。

「悪病除之事」は東京大学総合図書館に保存されている資料です。多くの人たちの生命を奪った疫病についての記録が書かれている資料なのですが、ここに「きたいの童子」という予言獣のことが書かれています。

きたいの童子が現れたのは神田明神

「悪病除之事」に記されている内容によると、きたいの童子が現れたのは神田明神(かんだみょうじん)だったそうです。ここにある日突然、きたいの童子が現れたとのこと。

ちなみに神田明神は医療や疫病退散と大変縁の深い神社です。ご祭神として医学や医療の発展に大きな力を貸してくださるとされている「大己貴命(おおなむちのみこと)」、薬の神様として大変有名な「少彦名命(すくなひこなのみこと)」、除災厄除の神様として多くの人たちから信仰されている「平将門(たいらのまさかど)」が祀られています。

なぜ、疫病退散のご利益があるとされているきたいの童子が神田明神に現れたのかと疑問に感じる人もいるでしょう。そこには、神田明神に、医療や疫病退散にとても強い誤差心が祀られていたということが関係していると言われています。疫病退散と縁が深い神田明神に予言をすれば、きっと自分が伝えた予言を広く伝えて多くの人たちを救ってくれるだろうという思いがあったのかもしれません。

きたいの童子にまつわる伝説

鬼の角をまねた子供
きたいの童子にまつわる伝承や記録は、実はほとんど残っていません。ただ、伝説として伝わっている事柄はいくつか残されています。

きたいの童子にまつわる数少ない伝説についてご紹介します。

きたいの童子の見た目

きたいの童子の見た目については、「悪病除之事」にその絵が残されています。これは、実際にきたいの童子を見たとされる人が描いたものだと言われています。ただ、その真偽のほどは定かではありません。

見た目は小鬼そっくりだったそうです。頭には2本の角が生えていて、目は人間よりもはるかに大きく、眼光はとても鋭かったのだとか。また、口も人間に比べてはるかに大きく、開くと耳の近くまで開いたとされています。

「小鬼」と聞くと虎柄のパンツをはいた姿を想像する人が多いかもしれません。ですが、神田明神に現れたきたいの童子は、羽織袴姿だったそうです。きちんと正装していたのです。服を着ていたという点から、かなり人間に近かったという記述が残っています。

見た目は小鬼のようだが心優しい?

小鬼と聞くと、「怖い」という気持ちを抱く人もいるでしょう。昔話などに登場する鬼の多くは人間にとって敵という描かれ方をしています。ですが、きたいの童子はそうではなかったようです。

きたいの童子は正装して神田明神に現れます。そして「不思議な悪気が訪れる。その悪気から逃れるためには、私の姿を描き、家の中に張っておくと良い」と予言したのだとか。

昔の「鬼」と言うと、その多くは「病」のことを指していました。その病から人間を守ろうとわざわざ神田明神に現れたきたいの童子は、大変心優しいと言えるでしょう。また、実際にきたいの童子の予言の通りに行なった人たちは、悪気から逃れることができたとの記録も残されています。

疫病退散に大変縁が深い神田明神に現れ、多くの人たちを疫病から守ろうとしたきたいの童子。見た目は小鬼のようですが、心はとても優しかったとされる理由は、このようなところにあるようです。

きたいの童子には疫病退散のご利益があるとされている理由

江戸時代の参勤交代
きたいのどうじには疫病退散のご利益があるとされています。コロナウイルスの影響で、きたいの童子にも少しずつ注目が集まっているのも、疫病退散のご利益があるとされているからです。

きたいの童子と疫病退散のご利益には、どのような関係があるのでしょうか。きたいの童子の記録と史実とを比べて、その理由について迫ってみます。

江戸時代のコレラ流行を予言したから

きたいの童子が現れたとされたのは江戸時代とされています。その頃、江戸時代では長崎で流行り始めたコレラが日本全土に広まり始めていました。

きたいの童子の予言の中に「不思議な悪気」という言葉があります。これがコレラだったのではないかとされています。現在では明確に「コレラ」とわかっていますが、江戸時代ではコレラは原因不明の病とされ、その治療方法もわかりませんでした。そのため、多くの人たちが生命を落としたのです。

また、実際にきたいの童子の絵を描き、家の中に張って置いた人たちの中には、コレラから免れた人たちがいたそうです。コレラから免れた事実と、きたいの童子の絵を家の中に張っていたという事実がどのように関係するのかは、科学的には証明されていません。ですが、実際にコレラにならなかったという人たちはいたようです。

この2点から、きたいの童子は疫病退散のご利益があるとされるようになりました。コロナウイルスが蔓延した現在、改めてきたいの童子が注目され、ご利益があるとされています。

きたいの童子に関する記述がほとんどないから

疫病退散の予言妖怪にはある共通点があります。それは、「記述がほとんどない」という点です。疫病退散ですから、もっと多くの人たちの間でその噂が広まり、記述が残っていても良いと感じる人もいるかもしれません。ですが、実際には記述がほとんど残っていないのです。

きたいの童子についても、その記述はほとんど残っていません。唯一現存する記録が、東京大学総合図書館に保管されている「悪病除之事」だけです。コレラに関する記録は日本全国の資料に残されています。ですが、きたいの童子に関する記録はどこにもありません。

疫病退散の予言妖怪には、妖怪アマビエやヨゲンノトリなどもいますが、これらに関する記録もたった一枚の瓦版だけだったり、疫病を記した日記だけだったりします。きたいの童子に関しても「悪病除之事」だけにしか残っていないため、他の疫病退散のご利益があるとされている妖怪と同じように考えられるようになったようです。

きたいの童子のご利益を受けるには

習字道具
きたいの童子の疫病退散に関するご利益を受けるにはどうすれば良いのでしょうか。コロナ対策の一環で、ぜひ試したいと思う人もいるでしょう。

そこで、きたいの童子のご利益を受ける方法をご紹介します。ぜひ、試してみてください。

きたいの童子を描いてみる

きたいの童子を描いてみるという方法があります。インターネットで「きたいの童子」で検索をかけてみると、きたいの童子の絵がヒットします。それを見ながら自分で描いてみてください。

完全に模写する必要はありません。大切なのは気持ちを込めて描くということです。きたいの童子はとても心優しい人間びいきの妖怪とされています。心を込めて描くことで、よりご利益が頂きやすくなるでしょう。

きたいの童子の画像を玄関の扉に張っておく

きたいの童子の画像を玄関の扉に張っておくこともおすすめです。さまざまな気や運は、玄関から入ってくるとされています。病も同じです。

玄関にきたいの童子の画像を張っておくことで、コロナウイルスなどの疫病を追い払ってくれるでしょう。張る際には必ず内側に張るようにしてください。

まとめ

きたいの童子についてご紹介してきました。疫病退散のご利益があるとされる予言妖怪は他にもたくさんいます。ですが、その中でもきたいの童子に関する伝説や記録は大変少なく、はっきりしたことはほとんどわかりません。ですが、だからこそ不思議な存在として疫病退散のご利益があると考えられていたようです。心優しい予言妖怪ですから、是非きたいの童子にご利益にあやかってみてください。

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