皆さんは福助人形という縁起のいい人形をご存知でしょうか。江戸時代から愛されている商売繁盛の人形なんです。お店で目にした方は多いのではないでしょうか。福耳と張り出た額・愛嬌のある笑顔。その由来とモチーフになった人をご紹介します。
もくじ
江戸時代から人気の縁起人形。
福助人形は江戸中期にはすでに人気を博していた古くからある縁起の良いお人形。陶器や磁器で作られることが多く、子どものような外見と大きな頭、垂れた福耳と、その愛らしい姿が福助さんの人気の秘密です。
幸福を招来するという縁起人形の一種。背が低く,童顔で頭の大きい男性人形で,ちょんまげを結い,裃 (かみしも) を着けて正坐した形。江戸時代,享和期 (1801~04) 頃に死んだ長寿の佐太郎という実在人物を模したものといわれている。
江戸時代から愛されている商売繁盛の人形なんです。福耳と張り出た額・愛嬌のある笑顔。その由来とモチーフになった人をご紹介します。
福助人形の特徴
荒俣宏は「福助さん」(筑摩書房)において、福助人形の特徴を5点あげています。子供である
福耳である
正座している
四角い座布団をしいている
裃を着けている
荒俣氏は特に上記の内、正座・四角い座布団・裃というものから福助人形は吉宗の時代より以前には溯らないという点を指摘しています。座布団は以前は丸いものであったし正座というのは昔はなく、あぐらか片ひざを立てた座りかたが一般的であったとされます。また改まった時に裃を着る習慣も吉宗の頃の時代から始まったものだそうです。
胡坐をかいているもの、着物の色や顔つきはいろいろなものがあります。
お土産屋さんや展示会などに行くとたくさんあって面白いですよ。
気に入るものが見つかるといいですね。
「福助」は 江戸時代中期に現れた招福の縁起物人形で
頭額が以上に大きく 背は低く 多くは髷を結い 裃を付けて正座しています
これを座布団の上に安置して神酒 供物を供え福を祈る風習が京阪地方で始まり
江戸に伝わり 全国へも伝播したものです
今では 瀬戸物の福助さんが主流ですが
素朴な手作りの福助さんにも 捨てがたい味わいがあります
人相だけでも縁起がいいものなんだとわかる気がしますね。
「福助」の由来
京都の呉服屋大文字説
京都の呉服屋大文字の主人は頭が大きく背が低かったが、店の宣伝につとめたのでたいそう繁盛した。そして貧民へのほどこしも忘れなかったので、人々がこの店主にあやかるようにと人形をつくって毎日祈ったところから、いまの福助人形が生まれたという。
百姓佐五右衛門の息子説
摂州西成郡にいた百姓佐五右衛門はたいへんに長生きした人で、享和二年(一八〇二)に死んだがその子の佐太郎は身長二尺ほどしかなかった。しかし佐太郎は短身大頭が幸いして幸運をつかんだので江戸でその人形が売り出され評判になったという。
もぐさや亀屋説
滋賀の伊吹山のふもとの柏原という宿場に代々つたわるもぐさや「亀屋」に番頭福助がいた。この番頭は正直一途、お店の創業以来伝えられた家訓をまもり、ふだんの日は裃を着け、扇子を手放さず、道行くお客さんを手招きしてもぐさをすすめ、お客に対して感謝の心をあらわしおべっかを言わず、真心で応え続けた。そのため商売が大いに繁盛し、主人もたいそう福助を大事にした。やがてこの話が京都にも広まり伏見人形屋が耳にして、福を招く縁起物として福助の姿を人形にうつしたという。
福助さんの家族。
福助さんの苗字は
「願いがかなう」に掛けたもので 「叶」と いわれています
十辺舎一九の「叶福助噺」では
大黒天が娘の吉祥天の婿に福助を迎えたという話が載っています
二人の間には福蔵・福六という二人の子供ができました
また福助はお多福とも懇ろの仲になり 愛人にしたのだともいいます
福助の母は、おかめであったとされ
福助とお多福が仲良く並んで座っている人形や
おかめが福助を背負った人形などもあるそうです
でも、江戸時代の話なので愛人もあまり珍しいことではなかったのでしょう。
福助さんを取り巻く家族はみんな縁起のいいお名前ですね。
どんな御利益があるの?
裃(かみしも)姿で末広(扇)を腰にさしたとても礼儀正しい福助さんはお客さんを呼び寄せると言われ、商店の店先などに置かれている事が多いですね。また、願いが叶う願掛けの縁起物としても人気が高く、ご家庭の玄関などに置かれる事も多いようです。
周りに位置も笑顔と笑いをもたらし、その家族を繁栄に導いたと言われています。
みんなから好かれていたこともあり、人を引き付ける商売繁盛の縁起物として、今も多くも人たちに
愛されています。